ヒトが文書を読めるようになるまで

作成日:2024/10/25
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印刷技術の発達により本が大量に流通するまでは、情報の伝達は専ら音読により行われてきました。 しかしながら明治期以降になると、人は膨大な文書を声に出さず黙読するようになりました。 現代の国語教育でも、文書の読解はまず音読から始め、最終的には黙読できるように指導しています。 人はなぜ黙読できるようになるのか、なぜ音読が先に教えられるのかを解説していきます。


読解能力の育成

小学校の国語教育では、まず文書の音読が教えられます。音読活動は、文字をどうしたら音声(音韻)として出力できるのかを教え、 文書という文字の羅列を読めるようにするためのトレーニングです。小学校低学年程度であれば、ある程度複雑な情報であっても 音声という形態であれば理解することができますから、音読を通じて文書読解能力を育成しているわけです。 また、声帯や舌といった発声器官をフル活用する構音運動のトレーニングにもなりますので、言葉を流暢に発することができるようになります。 音読の流暢さと読解能力の間には高い相関がありますので、学校ではできるだけ流暢に話せるようたくさんの音読をさせます。

音読ができるようになると、次は文書を声に出さず読解させる黙読のステップに移ります。 黙読するためには、音声(音韻表象)が脳内で生成できる必要があります。このため、音読→黙読へ移行中の児童においては 口を動かすものの発声はしないという行動が見られることもあります。

この黙読がさらに熟達すると、音韻表象を脳内で生成するスピードが高速化し、結果として速読ができるようになります。 また、速読ができるようになると、文書のうちあまり重要でない文字に割く時間を減らし、複雑で重要な文字に対して多くの時間を割いて理解するようになります。 この脳の機能により、文書の読解能力がより高まるのです。

さらに読解に熟達した読み手は、内的な音声化を経ずに文字から直接意味にアクセスできるようになります。 これを、内的な音声化を経る読み方である「音韻ルート」に対比して「直接ルート」と呼びます。 直接ルートによる読解ができる読み手は、音韻ルートにより読解をする読み手よりも文書読解時の眼球の動きが大きいという特徴があります。 これは、音韻ルートによる読解を行うときは文書を先頭から末尾まで一文字ずつ追うのに対して、直接ルートでは不要な箇所の読み飛ばし・重要な箇所の読み戻りが活発に行われるためです。 なお、この方法による読解ができるのは、成人においても一部の読みに熟達した者だけと言われています。


読解力が低い読み手と音読

読解能力が低い読み手は、黙読の第1段階である内的な音声化に失敗していることがあります。 文書をそもそも音声化することができていないため、その意味にアクセスすることができないのです。 このような読み手に対しては、音読をさせると複雑な文書でも理解できるようになります。 これには、文字情報について構音運動を行う(発音する)ことで脳の働きが活性化され、読解能力が高められるためという説があります。 また、音読活動は内的な音声化のトレーニングでもあるため、結果として黙読能力の獲得にも繋がります。

なお、読解能力の高い読み手に音読をさせると、文書理解に対して妨害的に働くという面白いデータもあります。 音読では重要度の高い文字も低い文字も同じだけの注意力が強制的に取られてしまうため、難解な箇所の読み戻りができず結果として読解能力が低下してしまうようです。


よもやま話 文字とヒトの歴史

話し言葉(言語)はヒトの先史時代(数百万年前~10万年前)まで遡る事ができます。 一方で文字体系は紀元前4千年紀後半頃に発生したと考えられており、言語に比べるとかなり最近の出来事です。 また、大衆が文書を大量に読むようになったのは活版印刷の登場以降で、ここ数百年の出来事となっています。 ヒトの遺伝子は数千年前よりさほど変わっていないという説がありますから、身体の進歩に比べて技術の進歩(特にここ数百年)は異常なペースで進んでいるとも言えます。


参考文献

[高橋麻衣子] 人はなぜ音読をするのか (2013)