南信地方の民話

作成日:2024/07/27
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長野県の南部地方を「南信(なんしん)」と呼びます。ここは深い山に囲まれた地域で、古くから池や淵・山に関する民話が伝わっています。


姫宮の狒狒退治

・地域:飯田市上郷

上郷村字野底の姫宮は、杉の大木に囲まれた人里離れた寂しい場所にあった。この社の年に一度の祭りでは、年ごとに娘を人身御供として捧げることが習わしとなっていた。もし断れば、神様の怒りにより田畑が荒らされ、作物が実らないと恐れられていたため、この慣習は毎年続けられてきた。
ある年の祭りの朝、屋根に白羽の矢が立った家では、娘を中心に家族が涙にくれていた。そこへ一人の旅の侍が通りかかり、事情を尋ねた。娘を人身御供に出さねばならないと聞いた侍は、「拙者は旅の者だが、神様ならばそのような無慈悲なことはなさるまい。察するところ、それは野に棲む怪物の仕業にちがいない。今夜は拙者が娘御に代わり、人身御供になって社におもむき、その悪者を退治して進ぜよう」と申し出た。これを聞いて、村中の人々が手を合わせて喜んだ。
その夜、侍は白い着物を肩にかけ、抜身の刀を忍ばせて唐櫃の中に身を潜めた。村人たちがそれを姫宮の拝殿に運んだ。真夜中になると、生臭い風とともに、木々をかき分けて忍び寄る怪しい物音が聞こえた。侍が唐櫃の隙間から闇を覗くと、大きな黒い影が拝殿にヌッと現れ、唐櫃の蓋に手をかけた。その瞬間、侍は唐櫃から躍り出て、怪物を斬って斬って斬りまくる。怪物は深手を負い、呻きながら山の奥へ逃げ去った。 夜が明けると、村人たちが恐る恐る社を訪れ、無事な侍を見つけた。大勢で血の跡をたどって山中へ分け入ると、大きな岩陰の洞穴に、年経た大狒狒が朱に染まって倒れているのを発見した。 この侍の名は岩見重太郎だと伝えられている。


けぶった池の椀貸し

・地域:飯田市上村

程野の山の山頂に近いところに、「お池」と呼ばれる池がある。そのずっと下の方には「けぶった池」という池の跡がある。昔は水をなみなみと湛えていて、池の神様も祀られていた。
そこに最初に住み着いたのは、半平(はんぺい)という男だった。半平は周りの木々を伐り払って焼き畑にし、そばや粟(あわ)などを作っていた。池のおかげか年々豊作が続いた。
あるとき、畑作の手伝いに来てくれた人たちに昼飯を出そうとしたが、膳と椀が足りなかった。そこで半平は、「池の神様、どうかお膳とお椀を八組だけお貸しください」と頼むと、池の中から八組の膳と椀が浮き上がってきた。半平は何度かこれを繰り返していたが、そのうちに椀を一つ壊してしまった。だが、半平は何食わぬふりをして、そのまま池に戻そうとした。ところが、壊れた椀だけが何日経っても沈んでいかなかった。半平は怒って、池の周りに生えている葦に火を放った。
すると、池の中から赤い袋を担いだ女の人が現れて、「けぶったい、けぶったい」と言いながら、程野の山を上へ上へと登っていき、「お池」の中に消えてしまった。そこで、元の池を「けぶった池」と呼ぶようになった。その女の人は「お池」の主となり、水を満々とたたえるようになったが、一方で「けぶった池」の方はだんだん水が枯れて、半平の畑も作物が実らなくなったという。


山の神様

・地域:飯田市上村

昔、上村に若い樵の夫婦が住んでいた。夫の三郎太(さぶろうた)が毎日山へ木を伐りに出かけると、女房の小夜(さよ)は裏山の段々畑で働くという日々であった。
ある日のこと、小夜が作っておいた新しいわらじを履いた三郎太は、「これで一安心だ。なんしろあの崖っぷちの太い松を伐るには大変だ。足がすべらんように、山の神様によーくお参りしてかからにゃあ」と独り言を言いながら出かけて行った。しかし、次の日から、にぎり飯をもう一人分作ってくれだの、畑で穫れた野菜や竹筒に入れた水を持たせてくれだのと、いろいろ小夜に頼むようになった。
「どうも様子が変だ。山で誰かをかくまっておるのかしらん」と小夜はいぶかしく思い、そっと三郎太の後をつけていった。茂みに隠れて見ていると、深い谷の崖っぷちで太い松を伐っている三郎太の後ろに、見たこともない美しい女がいて、しっかりと三郎太の帯をにぎりしめているではないか。
「まあ、あの女は!」三郎太が動けば、女もそれに合わせて後ろで立ち回る。まるで花にまつわる美しい蝶のように…
小夜は思わず走り寄って、「やっ!」とばかり、体当たりをして女を谷底へ―。だが、その前に女の姿は消えていた。あわてて谷を覗き込むと、なんと三郎太が、谷底に吸い込まれるように落ちていく。「あーっ! おまえさーん!」小夜は一瞬気を失ったが、ふと周りを見ると、すぐわきの栃の切り株に、しめ縄が張られて、山の神様が祀ってあった。握り飯や芋などの野菜が供えられ、竹筒には黄色い花が風に揺れていた。「ああ、なんてことを―。山の神様がおまえさんをせっかく守っておってくれたものを……」 崖っぷちに立った小夜は、そのまま谷底へと倒れ込んでいった。


有作桃

・地域:清内路村

下伊那郡清内路村は、かつて桃の産地として名を馳せていた。いまでも春になると花桃で村全体が彩られている。昔作られていた桃は「有作桃(ゆうさくもも)」と呼ばれていた。
かつて村には有作という気ままな百姓がいた。ある日、仕事に出たまま帰宅しなかった有作を村中で探したが見つからず、人々は「天狗様に連れ去られたのだろう」と噂した。こうして村中が騒いでいる間、有作は本当に天狗に連れられて諸国見物をしていたのである。
数日後、有作はひょっこり裏山から帰ってきた。村の衆は珍しがって有作を取り囲み、様々な話を聞かせてもらった。 ところで、有作が片手をしっかりと握っているのを見た村人たちは、「その手に握っとるものは何よ、おらたちにも見せてくりょやれ」といって無理やり開かせてみると、そこには一つの桃の実があった。有作は「赤い顔の人がくれた」とただひとこと言うのみであった。
その桃の実を植えたところ、やがて立派な実をつける木に成長した。これが「有作桃」で、天狗様の授かりものであった。


参考文献

[宮下和男] 信州の民話伝説集成【南信編】